アプリケーションノート B-SCX1019
はじめに
無機結晶材料では、結晶のキラリティの違いが材料の物性(圧電性・焦電性、磁気的特性、光学的特性 等)に影響を及ぼすことが知られています。そのため新規無機材料の研究プロセスにおいては、構造と物性の関係を理解するうえで、結晶構造中における原子配列の向きやねじれを考慮した絶対構造の決定が重要になります。単結晶X線構造解析では、対称心をもたない空間群を有する結晶について、X線回折の異常分散を利用したBijvoet法(1)(2)を用いて絶対構造の決定を行うことができます。本稿では、一般に絶対構造の決定に用いられることが少ないMo線源を搭載した単結晶X線回折装置を用いて、無機結晶の絶対構造を決定した例を紹介します。
測定・解析例
本実験ではCsCuCl₃結晶を測定試料として用いました。CsCuCl₃結晶では、鏡像構造の関係にあるP6₁22およびP6₅22の空間群にそれぞれ属する2種の結晶が確認されています。また、低温条件下(35 ℃)で結晶化を行うと1つの単結晶中に2種の鏡像構造が等量存在する“ラセミ双晶”として優先的に結晶化し、高温条件下(65-90 ℃)で結晶化を行った場合にはいずれかの鏡像構造(空間群)のみからなるエナンチオマー純結晶(“ホモキラル結晶”)として優先的に結晶化することが報告されています(3)。
そこで我々は、封入管型X線源を搭載したXtaLAB Synergy-S(PhotonJet MAX-S, Mo Kα)を用い、ラセミ双晶およびホモキラル結晶の2種を室温条件にて測定し、構造解析結果にどのような違いが生じるかを検証しました。
図1にラセミ双晶の結晶構造とホモキラル結晶の結晶構造、表1にそれぞれの結晶学データを示します。いずれの結晶も6分という短時間の測定にもかかわらず、データの質を示すRint値が3%台と、良好な測定データが得られました。一般に無機結晶はX線の吸収が大きいですが、透過力の高いMo線源を用いることで良質なデータが得られております。図1に示した構造解析結果は両結晶で類似していますが、表1の結晶学的データを確認すると、Flack パラメーターに違いが生じていることが明らかとなりました。
Flack パラメーターは、対称中心のない空間群を持つ結晶構造において、構造モデルが正しい絶対構造を与えているかどうかを判別する指標です。その値は、構造モデルが正しい鏡像構造である場合は0に近づき、もう一方の鏡像構造である場合は1に近づきます。改めて結晶学的データを確認すると、ホモキラル結晶はFlack パラメーターが0に近い値を示していますが、ラセミ双晶は0.5に近い値を示しています。
Flackパラメーターが0.5に近い場合、通常は対称中心を持つ上位空間群での解析を検討すべきですが、キラルな分子が構造中に存在する場合や、P6₁22およびP6₅22のように対称中心を持つ上位空間群が存在しない場合は、ラセミ双晶(反転双晶)であることを示唆しています。
図1:各CsCuCl₃結晶の結晶構造図(左:ラセミ双晶、右:ホモキラル結晶)
表1:各CsCuCl₃結晶の結晶学的データ
| ラセミ双晶 (低温条件下で結晶化) |
ホモキラル結晶 (高温条件下で結晶化) |
|
| 結晶サイズ(mm) | 0.04×0.07×0.12 | 0.04×0.07×0.11 |
| 全測定時間 | 5分58秒 | 6分11秒 |
| X線源 | Mo Kα | |
| 空間群 | P6122 | P6522 |
| Rint値, R1値 | 3.08%, 2.13% | 2.81%, 1.77% |
| Flack パラメーター |
0.47(2) | -0.004(19) |
そこでラセミ双晶のデータに対し、結晶の接合方向を指定する双晶則を考慮し、SHELXLのTWIN命令を用いた処理を行いました。今回使用した双晶則は[-1 0 0 0 -1 0 0 0 -1]となります。これは座標(x, y, z)を(-x, -y, -z)に反転させるための行列であり、「結晶中にP6₁22の結晶構造とP6₅22の結晶構造が同時に存在している」と定義することができます。加えて、体積比率を精密化するためのBASF命令を併用することで、結晶中における各エナンチオマーの体積比率を求めることもできます。
これら2つの命令を適用して精密化を行った結果、ラセミ双晶のデータはBASF値が48(4)%として精密化されるとともに、R₁値が1.94%、Flackパラメーターが -0.01(2)に改善し、反転双晶であることが証明されました。
表2:各CsCuCl₃結晶の結晶学的データ(双晶則適用後)
| ラセミ双晶 (低温条件下で結晶化) ※TWIN/BASF適用後 |
ホモキラル結晶 (高温条件下で結晶化) |
|
| 結晶サイズ(mm) | 0.04×0.07×0.12 | 0.04×0.07×0.11 |
| 全測定時間 | 5分58秒 | 6分11秒 |
| X線源 | Mo Kα | |
| 空間群 | P6122 | P6522 |
| Rint値, R1値 | 3.08%, 1.94% | 2.81%, 1.77% |
| Flack パラメーター |
-0.01(2) | -0.004(19) |
本稿では、Mo線源を用いた単結晶X線構造解析によって、キラリティを有する無機結晶の絶対構造決定および反転双晶の解析ができることを実証しました。一般に、Mo線源を用いた絶対構造の決定は難しいと考えられていますが、構造中にSiよりも原子番号の大きい元素が含まれていれば、十分に高い精度で絶対構造の決定を行うことができます。
謝辞
結晶化条件によって分晶する無機結晶は珍しく、本アプリケーションノートの題材として使用いたしました。試料を提供いただきました熊本大学 猪股先生に感謝申し上げます。
参考文献
- J. M. Bijvoet, A. F. Peerdeman, A. J. van Bommel: Nature, 168 (1951) 271-272.
- H. D. Flack, G. Bernardinelli: Acta Cryst., A55 (1999) 908-915.
- Y. Inomata: Cryst. Growth Des., 25 (2026) 7081–7084.
推奨装置・ソフトウェア
- 単結晶X線構造解析装置 XtaLAB Synergyシリーズ
- 単結晶構造解析統合プラットフォーム CrysAlisPro