BioSAXS-1000 を用いた毛髪構造の分析 ‐毛髪の内部構造変化の評価例-
要約
毛髪はケラチンタンパク質からなる繊維で、階層構造を形成し ています。毛髪の中心部分には、メデュラが存在し、その周りに コルテックスと呼ばれる組織が多数集合しています。コルテックス の内部には円筒状のマクロフィブリルが充填されており、マクロフ ィブリルの内部には、ミクロフィブリル(中間径フィラメント)が配列 しています。ミクロフィブリルはプロトフィブリルから、プロトフィブリ ルはフィブリルから構成されています。さらに、フィブリルはケラチ ンから構成されています。
人は容姿を魅力的に見せるため、あるいはヘアスタイルの変 化を楽しむために、しばしばパーマやブリーチを行います。パー マは、薬剤を用いてシスチン結合の還元・酸化を行い、毛髪の内 部構造・形状を変化させたうえで固定化します。ブリーチは、毛髪 中のメラニン色素を過酸化水素で酸化し、脱色することで実現さ れます。しかし、これら各処理を行うことにより、ケラチン等の毛 髪の成分が分解され、還元・酸化処理時に十分に再結合せず、 毛髪の強度不足等が生じます。つまり、毛髪のダメージを回復さ せずにパーマ・ブリーチ等の処理を繰り返すことにより、毛髪の 損傷が蓄積し、いわゆるダメージヘアへとつながります。したがっ て、ダメージヘアの内部構造の変化を調べることは、毛髪の性質 や構造変化を制御する手法の開発につながると考えられます。 ここでは、パーマやブリーチを行うことによるダメージや毛髪内 の微細構造変化を、BioSAXS-1000 を用いた小角散乱測定によ り評価した結果を紹介します。
試料調製
測定に用いた毛髪試料は、群馬大学 機器分析センター 瀧 上昭治准教授より提供いただきました。未処理の市販毛髪を健 康毛髪試料としました。健康毛髪試料に、アンモニアを含む過酸 化水素水へ浸漬することによりブリーチ処理を、還元剤で処理後 酸化処理することによりパーマ処理を行いました。ブリーチ・パー マ処理は、ブリーチとパーマを繰り返すことで達成しました。各処 理を3 回繰り返した毛髪を測定用毛髪試料としました。
装置:BioSAXS-1000
X線小角散乱測定装置BioSAXS-1000 は、既存の回転対陰 極型X線発生装置を含む、様々なX線源と組み合わせることがで きる、生体高分子用の小角散乱測定装置です。BioSAXS-1000 は多層膜光学系を採用し、X線が検出器上に集光するように設 計されています。したがって、試料位置では広い照射面積を獲得 しながら、スメアリングの問題が発生しない理想的な光学系とな っています。ピンホール光学系と比較して、より強いX線が至近 距離で試料に照射されます。
分析結果1:赤道方向 d=9.5Å 近傍の散乱ピーク
各毛髪試料を用いて小角散乱を測定したところ、図1 の散乱イ メージを観測することができました。最適化ソフトウェア SAXSLab を用いて赤道方向の散乱強度を算出し、各毛髪試料 由来の散乱曲線を比較したところ、わずか一本の毛髪からの散 乱で、ピーク位置の変化を観測することができました(図2)。 d=9.5Å 近傍に見られるピークを比較した結果(図3 および表 1)、健康毛髪と処理を行った3種類の毛髪試料では、ピーク位置 がわずかにずれていました。9.5Å の格子面間隔は、中間径フィ ラメントタンパク質のcoiled coil 間の平均距離に対応すると考え られます。このことから、パーマあるいはブリーチ処理を行うこと により、中間径フィラメントタンパク質のcoiled coil 間の平均距離 に変化が生じたと考えられます。
図1 各毛髪試料の散乱イメージ(露光時間:3600 秒)
a:健康毛髪、b:ブリーチ処理毛髪、c:パーマ処理毛髪、d:ブリーチ・パーマ処理毛髪
図2 各毛髪試料の散乱曲線
赤:健康毛髪、シアン:ブリーチ処理毛髪、マジェンタ:パーマ処理毛髪、緑:ブリーチ・パーマ処理毛髪
※各毛髪試料のピーク位置の変化を観察するために、各散乱曲線が重ならないようにずらして表示しています。
図3 d=9.5Å 近傍の散乱曲線
※ピーク位置のわずかな変化を観察するために、重ねて表示しています。
表1 d=9.5Å 近傍のピークの比較
試料名 | ピーク位置(q値) | ピーク位置(d値) |
健康毛髪 | 0.65 Å⁻¹ | 9.56 Å |
パーマ処理毛髪 | 0.67 Å⁻¹ | 9.38 Å |
ブリーチ処理毛髪 | 0.663 Å⁻¹ | 9.48 Å |
ブリーチ・パーマ 処理毛髪 |
0.67 Å⁻¹ | 9.38 Å |
分析結果2:赤道方向 d=15.0Å 近傍の散乱ピーク
d=15Å 近傍に見られるピークを比較した結果(図4)、健康毛 髪ではピークは観測されませんでしたが、各処理を行った3 種類 の毛髪試料では、弱いピークが観測されました。15.0Å の格子面 間隔は、フィブリル間の平均距離に対応すると考えられます。こ のことから、パーマあるいはブリーチ処理を行うことにより、フィブ リル間の中心間の距離がそろう方向に変化したと考えられます。
図4 d=15Å 近傍の散乱曲線
表2 d=15Å 近傍のピークの比較
試料名 | ピーク位置(q値) | ピーク位置(d値) |
健康毛髪 | ― | ― |
パーマ処理毛髪 | 0.423 Å⁻¹ | 14.84 Å |
ブリーチ処理毛髪 | 0.423 Å⁻¹ | 14.84 Å |
ブリーチ・パーマ 処理毛髪 | 0.423 Å⁻¹ | 14.84 Å |
分析結果3:赤道方向 小角領域の散乱ピーク
小角領域(d=85、45および28Å近傍)に見られるピークを比較 した結果を図5 に示します。d=85Å 近傍では、各毛髪試料間でピ ーク位置の変化はありませんでした。85Å の格子面間隔は、中 間径フィラメント間の平均距離に対応すると考えられます。中間 径フィラメントは各処理による変化はないと考えられます。 d=45Å 近傍では、健康毛髪ではピークは観測されませんでし たが、各処理毛髪ではピークが観測されました(表3)。45Å の格 子面間隔は、プロトフィブリルの中心間の平均距離に対応すると 考えられるため、パーマあるいはブリーチ処理を行うことにより、 プロトフィブリルの中心間の距離がそろったと考えられます。 d=28Å 近傍では、健康毛髪ではピークは観測されませんでし たが、各処理を行った3 種類の毛髪試料では、弱いピークが観 測されました(表4)。28Å の格子面間隔は、プロトフィブリル間の 平均距離に対応すると考えられます。このことから、パーマある いはブリーチ処理により、プロトフィブリルの配列に変化が生じ、 距離がそろったと考えられます。
図5 小角領域(d=85, 45 および28Å 近傍)の散乱曲線
下図は上図のオレンジ枠の拡大です。
表3 d=45Å 近傍のピークの比較
試料名 | ピーク位置(q値) | ピーク位置(d値) |
健康毛髪 | ― | ― |
パーマ処理毛髪 | 0.1341 Å⁻¹ | 46.85 Å |
ブリーチ処理毛髪 | 0.1356 Å⁻¹ | 46.33 Å |
ブリーチ・パーマ 処理毛髪 | 0.1377 Å⁻¹ | 45.63 Å |
表4 d=28Å 近傍のピークの比較
試料名 | ピーク位置(q値) | ピーク位置(d値) |
健康毛髪 | ― | ― |
パーマ処理毛髪 | 0.2228 Å⁻¹ | 28.20 Å |
ブリーチ処理毛髪 | 0.2228 Å⁻¹ | 28.20 Å |
ブリーチ・パーマ 処理毛髪 | 0.2228 Å⁻¹ | 28.20 Å |
結論
測定結果より、各処理による毛髪の内部構造変化を可視化す ることができました(図6)。この結果、ブリーチやパーマを繰り返 すことにより、毛髪がダメージを受け、毛髪内の水分が減少し、 結果として毛髪内の各フィラメント間の配列がそろい、散乱として 現れたと考えられます。 BioSAXS-1000 を用いることで、わずか一本の毛髪より、各処 理による散乱パターンの違いを観測することができます。散乱曲 線のピーク位置を比較することで、毛髪の内部構造の変化を容 易に観測することができます。わずかな構造の違いを比較するた めには、弱い散乱ピークを検出することが必須となりますが、 BioSAXS-1000 では、d=28 および15Å 近傍のピークのように、 微弱な回折も検出することが可能です。
図6 各処理による毛髪の内部構造変化
